ジュゴン・ウォッチング・ツアー

タイ

今日は、リゾートホテルによるジュゴン・ウォッチング・ツアー(以下、ジュゴン・ツアー)について報告したい。2018年までトラン県シカオ郡のハッチャオマイ国立公園(Hat Chao Mai National Park)内にあったアナンタラ・シカオ・リゾート(以下、アナンタラ)は、シカオ郡の南に接するカンタン郡のタリボン島周辺でジュゴン・ツアーを開催していた。アナンタラは五つ星の高級リゾートで、海外からの観光客を多く集めていた。このジュゴン・ツアーに私が参加した約半年後にアナンタラは閉業してしまったのだが、その理由は最後に述べる。

アナンタラのジュゴン・ツアーの参加費は、1人1,000バーツ(約3,390円:2020/8/27現在のレート)だ。1,000バーツというとどれくらいの価格なのだろうか。私が調べた中でタリボン島で一番収益性の高い漁業である、カニ刺し網漁の1日の平均収入が約1,200バーツだった。それを考えるとなかなかに、お高い。ジュゴン・ツアーの最少催行人数は6人、最大8人まで船に乗れる設定だ。ジュゴン・ツアーの繁忙期は12月~2月で、特に新年の休暇期間に多いそうだ。忙しい時は毎日催行されるという。多い時は、他社の船含め4~5隻が同じタイミングで同じ海域に出ていることもあるらしい。

■2018年1月12日

朝8時15分、アナンタラの送迎車に乗り込む。イタリア北部からやってきたという4人家族と、アナンタラのCSR(企業の社会的責任)担当でジュゴン・ツアーの責任者でもあるIさん、私を含めたジュゴン研究チームの日本人3人の、計8人で出かけた。南へ走ること約15分、タリボン島最寄りのハット・ヤオ港に到着した。ウォッチング船に乗り込む前に、Iさんが小さなパネルを用いてジュゴンの形態的特徴などを簡単に説明した。

8時55分、出港。船長はハット・ヤオ港の近くに暮らす41才のEさん(当時)。普段はハット・ヤオ港とタリボン島を結ぶ渡船を運行していて、10月から4月頃までの観光シーズンには遠方の島へと観光客を運んだりすることもある。EさんはアナンタラのIさんも信頼を置いている人で、ジュゴン・ツアーがおこなわれる時は、まず彼に声がかかる。船はこのあたりの船としては大きく、8人でもゆったりと船上でくつろぐことができる。ハット・ヤオ港を出航して、タリボン島の北から反時計回りに船を進める。

アナンタラの場所(左上)とジュゴン・ツアーのルート

10時6分、島の南の岬をまわったところで船長がジュゴンを発見した。エンジンを切って、海面に目を凝らす。ジュゴンが呼吸してから次、呼吸するまでの間隔は、約3~5分ほどだ。また、大抵の場合、鼻先しか出さないので、観察できるとしても一瞬のことである。しかも、タリボン島周辺海域は海水が比較的濁っているので、発見は簡単ではない。この時は、船長が発見してから30分ほどみんなで探したのだが、はっきりとは見つけられなかった。ただ、ジュゴンの糞がぷかぷかと浮いているのを発見した。そして、今度は島のランドマークとなっているバトプテ山の下のポイントに移動し、先ほどとは別のジュゴンを1頭発見した。船長がジュゴンを見つけるのには2つ方法があって、自ら発見する場合と、山の上の展望台からジュゴンを観察している人に電話で連絡をとる場合とがあった。

ジュゴン発見(2018/1/12)
崖のようなバトプテ山とジュゴン(写真中央)。(2018/1/12 撮影)
ジュゴン(ジュゴン発見地点②)(2018/1/12 撮影)

ジュゴン・ツアーには、実は公的なルールはない。しかし、E船長が中心となって、独自のルールを決めたそうだ。
1.ジュゴンを発見したらエンジンを止める。エンジンをかけてジュゴンを追い回すことはしない。
2.ジュゴン接近時は、干潮時は竹の棒を使って船を操船する。満潮時は錨をおろす。
3.スピードボートは使わない。
以上である。

竹の棒を使って操船するE船長(2018/1/12 撮影)

11時半頃までジュゴン発見場所②でジュゴンを探したが、結局最初に見つけた1頭しか見つけられなかった。島をぐるっと反時計回りに回るようにして帰路に着く。12時半頃、潮が引きすぎてしまって船が水路を通れなくなってしまったので、島の北部の浅瀬で45分ほど潮待ち兼スイミング休憩をとった。

ジュゴン・ツアーのルート拡大図

13時44分、ハット・ヤオ港に帰港。これでジュゴン・ツアーは終了、ホテルへと車で戻る。さて、イタリア人家族の満足度はどうだったのだろうか。よくわからなかったが、横で見ていて、小学校低学年と幼稚園の年中さんくらいと思しき子どもたちは、少し退屈していたように見えた。ジュゴン・ウォッチングはイルカやクジラのウォッチングと比べてまず姿を見つけるのが難しく、ジャンプなどのダイナミックな動きもないので、どうしても間が持たないのだろう。素人考えだが、出発前にジュゴンの生態的知識をレクチャーしたり、現場でジュゴンの鳴き声を水中マイクで聞いたり、ジュゴンの餌となる海草やジュゴンが海草を食べた跡を観察したりすることもツアーのセットになっていると、より興味を持ってもらえるのではないかと感じた。この1ヶ月後に、アナンタラはそれに相当する学習施設をオープンさせた。

ここまで、アナンタラのジュゴン・ツアーを紹介してきたが、タリボン島内のリゾートホテルもジュゴン・ツアーを同海域でおこなっている。そのうちのひとつ、シー・ブリーズ・リゾートでは、宿泊客がジュゴンを見に行きたいと言ったら、立地しているランカウ村の漁業者に連絡を入れてツアーを委託しているという。値段は1人500バーツ(約1,695円:2020/08/27現在)で最小催行人数は4人とのこと。村内で数人の漁業者が対応しているそうだ。

最後に。アナンタラは2018年の7月に閉業してしまった。その理由はホテルがハッチャオマイ国立公園内に立地していたことだ。2013年から5年もの間、国立公園・野生動物・植物保全局(Department of National Parks, Wildlife and Plants Conservation )と裁判を続け、最高裁まで争った結果、ホテル側が敗訴。立ち退かなければならなくなった。

以下は私の個人的な見解になる。最高裁の判決文を読んでいないので一方的な意見になるかもしれないが、お許しいただきたい。

アナンタラのCSR担当者のIさん(前出)は、常に地域貢献を考えている方だった。ジュゴン・ツアーについてはもちろん、タリボン島内での海岸清掃、島の子どもたちへの環境教育プログラムの実施、植物の葉を用いた伝統的なカバン作りの支援などを実施していた。地域を俯瞰した視点でリゾートとして何ができるかを考え、奮闘していた。また、アナンタラはジュゴン含めた絶滅危惧の海棲生物に対する、解剖学や生物学、医学、タギング(個体識別法)を学ぶ講習会の会場になることもあった。これ含めてアナンタラのCSRプログラムが充実していたのは、Iさんの力によるところが大きい。さらにジュゴンに関して言うと、私たちが帰国した1ヶ月後の2018年2月、ホテル内にジュゴン・エデュケーション・コンサーベーション・センターをオープンさせていた。センター内にはジュゴンの餌場環境を再現した海草藻場水槽やタッチプール、人間活動とジュゴンとの関係性を示したジオラマなどが用意され、訪れた観光客がより深くジュゴンについて学べるように構成されていた。タリボン島内のリゾートホテルでは、ジュゴン・ツアーを行っているものの、広い視野での地域貢献活動までは手が回っていない状況だ。アナンタラの閉業は、体系的な環境教育を実施する主体がひとつ失われたことも意味する。アナンタラが地域に根差した高級リゾートホテルとして、ジュゴンの保全にある一定の貢献をしていたことは確かだと言えよう。また別の観点から言うと、これが一番地元にとっては大きかったのだが、大口の雇用の場でもあったため、それが失われたというのは地域にとって明らかなマイナスであった。

準備中のジュゴン・エデュケーション・コンサベーション・センター。この区画には海草藻場を再現した水槽が入るとのことだった(2018/1/13 撮影)

国立公園・野生動物・植物保全局が、自然環境保全の観点から、国立公園内の人為的なものをできるだけ排除したいと考える向きもわからなくはない。当然、国立公園・野生動物・植物保全局も環境教育等に取り組んでいるし、雇用の場が失われたことを除けば困ったことは何も起きていないのかもしれないが、私には地域をまなざす視点は複数あった方がよいように思えるのだ。国の機関だからできること、民間の外資系の高級リゾートホテルだからできること、それぞれあるはずである。ジュゴンを保全することも含めて地域の環境問題の解決にあたる時、正解がない中で道を探らなくてはならない。異なる立場の見解を俎上に乗せることは、もちろん意見がぶつかり合うことにもなりうるが、その一方、今までになかったアイディアを生む基盤ともなる。そう考えると、アナンタラの閉業は私にとって残念なニュースであった。

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