ふと、「月を、最近見ていない」という印象が、ぽっかりと浮かんだ。そうだっただろうか。いや、ちがう。そんなことはない。空を見上げ、満ち欠けに目を走らせてはいるのだ。 なぜ「見ていない」と思ったのだろう。ぼんやりと机に目を落とす。右手には、しばらく読み込めていない、ある漁師の漁業日誌が重ねられている。どうやら「月」という着想は、この日誌から立ちのぼってきたようだ。アンダマン海に浮かぶタイ南部の島・タリボン島を離れてから、気づけば3ヶ月が経った。たしかに、“海と結びついた”月を、最近見ていない。
タリボン島・バトプテ村は浜辺にあり、メインストリートの片側の家々は海上に建てられている。バトプテ村漁師の日々は、潮が満ち引きするリズムで刻まれている。漁師は、浜辺にある自宅にほど近い浅瀬に、杭を打って漁船を繋いでいる。村に面する海は遠浅で、干潮時にはすっかり干上がり、漁船は砂泥に腰を落ち着けた状態となる。潮がひたひたと上がってきて腰くらいまでの高さとなり、舵が効く水深になる頃が出港の時だ。浅瀬を越え、タリボン島周りのサンゴ礁の漁場まで、約20~30分船を走らせる。釣り漁師が狙うのは、イカやサワラ、籠漁師が狙うのは、イカやカニだ。その日どの漁場に行くかは、風の様子や潮の状況を見て決める。そうこうしている内に、潮は下がっていき、そしてまた上がりはじめる。漁師は、潮が下がりきる前に村へ戻ってくる。
干潮や満潮は地球上での場所による月の引力の大きさの違いによる。海面の水位は約半日 の周期で上下している。別の表現をすると、1日に2回の満潮と干潮がある。つまり、バトプテ村漁師の操業時間は約12時間ほどだ。そして、満潮と干潮の時間は、月の公転が地球 の自転より約50分長いため、毎日その分だけずれていく。つまり、彼らの出航時刻は約50 分ずつ早くなっていくのだ。特に調べるわけでもなく、漁師は日々の月の変化、海の干満の変化を観察して、同期するようにリズムを刻んでいる。
明日は新月、潮の干満の差が大きくなる「大潮」である。満潮時、バトプテ村の海上家屋では、波音が床のすぐ下でことさら大きく響いているのだろう。そして、潮がぐんぐん引いていく干潮時には、大潮の時にだけ行くことのできる特別な場所へ貝掘りに出かけているかもしれない。今日はどんな日を過ごしているのだろうか。「見えない月」の日に、思いをはせる。
(2019/1/5の日誌を加筆・修正)
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